山口地方裁判所 平成10年(行ウ)10号 判決 2000年7月31日
原告
甲野太郎(仮名)
右訴訟代理人弁護士
中村友次郎
同
根石博文
被告
下松市消防長 清水拓治
右訴訟代理人弁護士
西岡昭三
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第三 争点に対する判断
一 争点1(訴えの利益の存否)について
〔証拠略〕によれば、本件で原告に対してされた停職処分は、停職期間中の給与を支給しないことを内容とするものであることが認められ、地方公務員に対する懲戒処分としての停職処分がされた場合、それがなかった場合に比して昇級等が遅れるのが常態であることは経験則上明らかである。これらの事実によれば、原告には本件に関し訴えの利益があることが認められる。
二 争点2(本件被疑事実の存否)について
1 前提となる事実関係
〔証拠略〕によれば、右争点の判断につき前提となる事実として、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、昭和五八年四月一日、下松市消防本部に消防職員として採用され、下松消防署に配属されて勤務に従事していたところ、昭和六一年五月二二日、交通自損事故を起こして頭部に傷害を受け、その七年後から右事故に起因すると考えられるてんかん発作を起こすようになった。
原告は、平成八年七月一日から本件当時まで、特に非違行為を行うことなく、下松市消防本部防犯課で警防通信事務及び警防一般事務を担当していた。
(二) 原告は、平成八年一〇月一一日、生命保険の満期保険金約三三万円を受領して勤務先から帰宅した後、午後七時三〇分ころ、右金銭を持って下松駅周辺へ出かけた。そして、原告は、同日午後八時ころから一〇時ころの間居酒屋で、午後一〇時ころから翌一二日午前零時ころの間焼鳥屋で、午前零時ころから翌一二日午前一時過ぎの間スナックで、それぞれ飲酒しながら食事をし、同日午前一時一五分ころ家路についた。ところが、原告は、息子への土産に冷凍ピザを買うことを思いつき、下松駅南口及び北口のコンビニエンスストアに立ち寄ったところ、いずれも閉店していたので、他のコンビニエンスストアに行くことにし、その途中で、本件スーパーの北側歩道を通りかかった。
(三) 原告は、同日午前一時三四分ころ、本件スーパー北側ほぼ中央にある出入口(別紙図面〔略〕<1>、以下「北側出入口」という。)のアルミ製外枠二枚外開き戸(高さ二メートル、戸一枚の幅九〇センチメートル)左下部分のガラス(縦約七八センチメートル、横約七五センチメートル、厚さ約五ミリメートル)を破壊して本件スーパー店内に入った。右ガラス戸は、本件スーパーの北側歩道に接する本件スーパーの北側外壁面から一メートルほど内側(南側)に入り込んだ位置に設置されていた。続いて原告は、同店内を歩いて移勤し、右出入口から約二〇メートル入った場所(別紙図面<2>付近)に至り、商品である冷凍食品を物色していた。
(四) 一方、本件スーパー内には複数の警報装置が設置されていたところ、原告が同店内に入ったことにより、同日午前一時三四分、右警報装置のうち、扉の開閉や窓等の振動に反応する装置が作動して異常信号を発信した。右信号を受信した綜合警備保障株式会社徳山営業所は、同日午前一時三五分、右会社の従業員橋本幸長に現場へ直行するように指示するとともに、同日午前一時三七分、下松警察に異常事態の発生を連絡した。
最初の異常信号の後、間もなく、原告が本件スーパー店内を歩いて移動したことにより、北側出入口を入った場所(別紙図面<3>付近)、及び同店内東側南寄り(別紙図面<4>付近)に設置されていた人の動きに反応して作動する警報装置が異常信号を発し、右警備保障会社はこれを受信した。
橋本幸長は、右の指示に従って現場に向かい、また、一一〇番通報に基づく指令を受けた下松警察署警察官尾崎良次、同田中匡己らも本件スーパーに直行した。
(五) 田中匡己は、本件スーパーに同日午前一時四二分ころ到着し、本件スーパーの東側北寄り路上(別紙図面<5>付近)から、本件スーパーの外周を左回りに検索し始め、同日午前一時四三分ころ、北東角にある出入口(別紙図面<6>)から同店内を覗いたところ、薄暗い店内を西側に向けて歩く原告の人影を認めた。続いて田中匡己は、北側出入口ガラスが割られているのを発見し(別紙図面<1>)、同店内を南側に向けて歩く原告の人影を認めた。
尾崎良次も同じく同日午前一時四〇分ころ現場に到着し、外周を検索した後、同日午前一時四三分ころ、後れて現場に到着した橋本幸長やその他の警察官数名とともに、南側中央付近の出入口((別紙図面<7>)から本件スーパー店内に入った。
なお、その際、本件スーパー周辺には、田中が認めた原告の人影以外には不審な人影は発見されず、北側出入口以外に人が侵入した形跡はなかった。
(六) 田中匡己は、北側出入口のガラスが割れている箇所(別紙図面<1>)から本件スーパー店内に入り、店内を探索したところ、冷凍食品売場(別紙図面<2>)付近で背広姿の原告がしゃがんでおり、同人が、手にしていた白いビニール袋や自分の背広のポケットに商品を入れているのを発見した。また、同人の周辺には、通常、同店内レジ(別紙図面<8>)付近に置いてある白いビニール袋が複数枚落ちていた。
(七) 田中匡己は、原告に近づき「何をしよるんだ。」と声をかけるとともに、自己の両腕を原告の背後から前方に回して原告の行動を制止した。このころ、尾崎良次が現場に駆けつけ、田中匡己は同日午前一時四六分ころ、尾崎良次とともに原告を現行犯逮捕した。その際、原告の右前頭部(右眉の部分)には、何か固い物にぶつけたことによってできた腫脹及び出血があったが、他に外傷は見受けられなかった。
(八) 原告の逮捕時の飲酒検査の結果は、呼気一リットルにつき〇・三五ミリグラム以上であり、原告の逮捕時の所持金は、金九万三〇〇〇円であった。また、原告の逮捕当時、原告の着衣にガラス片やガラス粉が付着していた形跡はない。
2 争点についての判断
前記争いのない事実2及び第三の二1(前提となる事実関係)で認定した事実によれば、本件スーパーに設置されていた警報装置により本件スーパーの北側出入口のガラス戸が破壊されたことを察知した警備保障会社から連絡を受けた警察官は、右ガラス戸が破壊されてから八分後に現場に到着し、その一分後に店内を歩いている原告を目撃し、直ちに店内に入って右ガラス戸から約二〇メートル奥に入った冷凍食品売場前で冷凍食品を物色している原告を認め、現場到着の四分後に商品を背広のポケットに入れたり、ビニール袋に入れたりしていた原告を現行犯逮捕したこと、その当時、本件スーパーには右出入口以外には侵入可能な出入口はなく、原告以外に不審な人物は見当たらなかったこと、原告は、そもそも冷凍のピザを買おうとして本件スーパーの北側路上に差しかかったことが明らかである。そうすると、これらの事実によれば、原告が本件被疑事実のうちの冷凍食品を窃取したことは疑いなく、原告は、右の窃盗に及んだものと認められる。
そして、原告が本件現場に差しかかった冷凍食品購入の目的と原告が冷凍食品を現に窃取した結果とが類似していること、本件北側出入口のガラス戸の破壊から店内にいる原告が発見されるまでの時間が短時間であり、現行犯逮捕時に原告が盗品を所持していたこと、当時原告以外に右ガラス戸を破壊した形跡はなく、破壊された右ガラス戸は、歩道から入り込んだ位置にあり、破壊されたガラスは右ガラス戸の左下の部分にあったことは前記のとおりであって、後記のとおり原告が本件被疑事実につき甚だ不自然かつ不合理な弁解に終始していることを合わせ考えると、原告は、冷凍食品を窃取する目的で右ガラス戸を破壊し、そのガラス戸部分から本件スーパーに故なく侵入したものと認められる。
3 原告の主張に対する判断等
(一) 原告は、帰宅するため本件スーパー前を通行中、何者かに不意に殴られ、気を失っている最中に同店内に投げ込まれたものであって、自ら侵入の上窃盗をしたものではない旨主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に副う部分もある。また、甲七(原告の下松市公平委員会における供述)中には、現場で背広のポケットに入っていたとされる冷凍食品は、警察官が無理に原告のポケットに押し込んだものであると述べる部分がある。
しかし、後者の弁解は、それ自体甚だ不自然であり、原告自身もその本人尋問で記憶がない旨述べている上、原告が本件スーパーに入れられた経緯として述べているところが後記のように到底信用できないものであることを合わせ考えるならば、この点に関する原告本人尋問の結果もまた信用することができず、前記のように原告が本件スーパー内を歩き回り、自ら冷凍食品を自己の背広のポケットに入れたものと認められる。そうすると、原告の冷凍食品は警察官が無理にポケットに押し込んだものであるとの弁解は到底信用し難い。そして、この点をおくとしても、原告が警察官によって発見された場所が本件スーパーの北側出入口から相当内部に入った場所であること、右出入口のほか本件スーパーの出入口には異常がなかったこと、原告が警察官に発見された際、原告の周辺には、レジ付近にあるビニール袋が複数枚落ちていたことは前掲証拠上疑いのないところであるが、これらの事実を前提として原告本人尋問の結果に副う事実経過を説明するためには、原告が本件スーパー店外で殴られて意識を失った後、何者かが本件スーパーの出入口のガラスを割り、同店内に原告を入れ、冷凍食品売場付近まで運び込んだ上、同店内レジ付近にあるビニール袋を取って原告を運び込んだ付近に遺留したと解すよりほかない。しかし、右のような経過自体、非常に不自然かつ不合理であると言わざるをえないし、割られたガラスは縦約七八センチメートル、横約七五センチメートルであって、二人の人間が同時に店内に入ることは無理であり、何者かが原告を店内に運び込むにも相当の困難を伴うと考えられること、他方、警察官や警備会社従業員が警報装置の作動から程なく本件スーパーに到着しているにもかかわらず、本件スーパー周辺で原告以外の人影は発見できていないことや、原告が現行犯逮捕された状況などの前記認定の事実関係に照らせば、原告が本件スーパーの出入口のガラスを破壊して侵入し、その後、原告が店内レジ付近からビニール袋を取り、警察官によって発見された場所まで歩いて行って窃盗行為に及んだと推認するのが相当であり、右の認定に反する原告本人の何者かによって店内に投げ込まれたとの供述は信用することができない。
なお、右の点に関し、前掲各証拠によれば、原告がそれまで特に非違行為を行うことなく消防職員としての職務に従事していたこと、現行犯逮捕された当時前頭部を負傷していたことが認められる。しかし、原告の経歴の如何が右の判断を動かすものではない。また、原告が現行犯逮捕された当時前頭部を負傷していた事実は、原告が何者かに殴打されたことを推測させ、原告の前記弁解を裏付けるかの如きものである。しかし、原告の受傷が当日のどの段階でどのようにしてできたかを認定しうる的確な証拠はなく、原告が何者かに殴られてから本件スーパー内で警察官に連行されるまでの供述が不自然かつ不合理で信用できないことは前記のとおりである。したがって、原告の受傷は、原告が述べるような状況の下でできたものとは認められず、このことが前記の認定を左右するものでもない。
また、原告は、原告の警察官に対する供述調書(〔証拠略〕)は、原告の署名及び指印後に書き加えられたと主張し、原告本人尋問の結果中にはこれに副う部分がある。しかし、この点に関する原告本人尋問の結果は、甚だ不自然かつ不合理なものであって、たやすく信用することはできない。のみならず、原告が右警察官調書において述べる犯行の内容は、著しく不自然かつ不合理であって、到底これを信用することができず、いずれにしても右の警察官調書が前記の認定を左右するものではない。
(二) また、警察官や橋本幸長らが本件スーパー店内を検索し、原告を発見するに至った経過につき、〔証拠略〕(下松市公平委員会における尼崎良次の尋問内容)、証人田中匡己、同橋本幸長の各証言を比較すると、田中匡己は一人で本件スーパー北側中央部付近の入口から店内に入った旨証言するのに対し、橋本は本件スーパー南側中央部付近の入口から、田中匡己とともに店内に入った旨証言する点に齟齬が存する。しかし、証人田中匡己の証言に照らせば、警察官ではない橋本幸長が田中匡己と他の警察官を見間違えたために生じた齟齬であると認められ、そうであるとすれば、右部分に関する証人橋本の証言だけの信用性を否定すれば足り、その他の細部についての齟齬も、証言や供述全体の信用性を排斥するに足りるものであるとは認められない。
三 争点3(本件処分の違法性)について
原告は、本件処分が被告の裁量権の範囲を超える違法なものである旨主張するが、右のとおり、原告が深夜、本件スーパー内に侵入して商品を窃取したとの本件被疑事実が認められることからすれば、これに基づき原告が現行犯逮捕されたことを理由として本件処分がされたこと自体に何ら違法性は認められないし、二か月の停職という本件処分の内容についても、前認定の事実のとおり、原告が本件スーパー店内に侵入した後、店内で商品を物色し、商品を窃取したとの事実からすれば、右処分が被告の裁量権の範囲を著しく逸脱してなされたものということは到底できない。
また、原告は、被告が原告の言い分を充分に聴取せず、本件被疑事実につき不起訴処分となった事実を知りながら本件処分を行ったのであるから、右処分手続には、原告の適正かつ公正な手続を受ける権利を保障しないままに行われた違法がある旨主張するが、〔証拠略〕によれば、被告は、警察、原告の父甲野一郎及び原告本人に対し事情を聞いた上で本件処分を行っていること、原告が本件発生後、平成九年三月一四日まで山口市の吉南病院に入院し、復職したのが同年四月一日であったこと、被告が、原告の復職後、同人から事情を聴取した上で同年五月二二日に本件処分を行ったことがそれぞれ認められる。そして、前認定の事実及び右事実からすれば、被告は、本件処分を行うにあたり、適正かつ公正な手続を受ける権利を保障するために最低限必要な手続を採ったことが認められる。
したがって、本件処分は、その内容・手続のいずれの点でも適法に行われたというべきであって、これが違法なものであったとは認められない。
なお、原告は、警察が原告の意思に基づかない調書(〔証拠略〕)を作成したと主張し、このことを前提として、このような捜査を行った警察の報告をもとにしてなされた本件処分は違法であると主張する。しかし、原告が本件被疑事実を犯したことが認められないのであれば格別、これが認められることは前記のとおりであり、仮に被告が報告を受けた内容にこのようなものが含まれていたとしても、そのことの故に本件処分が違法となるものではない。
四 以上によれば、本案に関する原告の主張は、いずれも理由がない。
第四 結論
よって、原告の請求は、理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山下満 裁判官 杉山順一 安部勝)